リアルなデザインについていろいろ考えてみた。

こんにちは、先日の3連休ほとんど引きこもってDVDで映画を見漁っていた小林です。

唯一出かけたといえば、アミューズメント施設であるウェアハウス川崎店公式サイトはこちらに行ってきました。
実はここ、100年もの間香港に存在した魔窟といわれた九龍城砦をモチーフに建てられていて、ネットでも反響呼んでいる巨大アミューズメント施設なのです。

何がすごいかというとその圧倒的なクオリティです!!!!
行ったのが夜だった上、店内は撮影禁止ということで写真は撮っていないのですが、建設を手がけた会社のサイト取材したサイトがあるので是非ご覧下さい。

1514496500_48e8f67ff2_o

↑こちらは本物の九龍城砦の外観です。ここに約33,000人が住んでいたといいます。

店内どうですか?スゴくないですか??一体どんだけ手間をかけているのやら…

好きな映画No.1が香港ノワール「男たちの挽歌」の僕は感動もひとしおでした…。
トイレとか本当にすごかったですね…。壁を実際に触ってみたら手が真っ黒に…なりませんのでご安心を。本物の汚れではなく加工なのでキレイです。

感嘆しながら30分ほどウロウロして、店員の視線にドギマギして、せっかくだからゲームしようと思いサイレントヒルのガンシューティングで遊んで、銃の当たり判定が(たぶん)おかしくてすぐGAME OVERになって、帰りました。

グランジ加工の参考を探しているなら打ってつけです。

質感をもたせるというコトとは脳に訴えかけるということ

さて本題です。こちらのウェアハウス川崎店は圧倒的なクオリティで、入場者にあたかも本当に九龍城砦にいるような感覚、質感を与えました。
このような、感覚、質感を「クオリア」と呼ぶそうです。

クオリア(英:複数形 qualia、単数形 quale クワーレ)とは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと[2]、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。日本語では感覚質(かんかくしつ)と訳される。

簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。
外部からの刺激(情報)を体の感覚器が捕え、それが神経細胞の活動電位として脳に伝達される。すると何らかの質感が経験される[4]。例えば波長の長さが700ナノメートルの光(視覚刺激)を目を通じて脳が受け取ったとき、あなたは「赤さ」を感じる。このあなたが感じる「赤さ」がクオリアの一種である。
(wikipediaより抜粋)

 身近なところでいうと、映画が好例です。映画が好まれる理由は、様々なクオリアを体験できるからと言えると思います。

webデザインでいうと、「押せそうなボタン」というのは「押せそうな感じ」というクオリアを生みます。
グランジ加工の鉄テクスチャを敷けば、「ざらざらした感じ」といったクオリアを生みます。
クオリアは脳で感じる、つまり直感だと言えるでしょう。

5302019252_8a3bce544f_z

感触を思い浮かべる=クオリアを感じる

昨今のリアルなスキューモーフィックデザイン(Skeuomorphic Design)はまさにこのクオリアを生み出しています。
つまりのところ、質感をもたせることとは、クオリアを生み出して直感に訴えることなのではないでしょうか。

最近はフラットデザインやロングシャドウなどが流行っていますが、直感に訴えかけられたほうが印象も強く残ると思うので、僕はいつかまたリアル志向に戻り、技術が進歩して全体がタッチデバイスになったら、本物の感触が味わえるwebサイトが出てくるんじゃないかと思っています。(プニプニしたボタン、ガチっとしたボタンなど)

まぁそればっかりのデザインになったらなんだか疲れちゃいそうですが。

※やや古い記事ですが、クオリアについて別の視点でわかりやすく書かれている記事がありました。
質感ってなんだろう? ~クオリアの謎

逆もまた真なり。シンプルなデザインが好まれる理由。

しかし、昔から「シンプル イズ ベスト」という言葉がある通り、余計な装飾を排除した機能的なものが好まれるのも事実です。これは現在フラットデザインが流行っている理由とも繋がるでしょう。

人はなぜシンプルを好むのでしょうか?僕は、脳にやさしいからだと思っています。
余計な情報をカットして本質のみを知れれば何かとスムーズです。

シンプルではないものは必ず飽きられます。それは古の時代から分かっていることです。
漢文に「大味必淡(タイミヒッタン。大いなる味は必ず淡し)」という言葉があります。意味は、「本当の優れた味というものは必ず薄味である」ということです。
濃厚な味は一時的には好まれても長続きはしません。お米と味噌汁は毎日食べれても、ステーキは毎日食べれません。たとえ食べれても身体に悪影響が及ぶでしょう。

また、こんな話があります。

今から約50年前、日本の南極観測隊が昭和基地を構えていた頃の話です。

当時の通信技術の制約もあり、日本との交信はカタカナの電文でした。
極寒の厳しい環境下で観測を続ける隊員たちにとっては日本にいる家族からの電文が何よりの心の支えでした。
中でも、ある隊員の新妻からの電文はたった3文字でしたが人々の心を打ちました。

「アナタ」

残された家族の万感の思いがこもったこの電文を見て基地の隊員たちはしばらくの間静まり返りました。

—————————

極端な例えかも知れませんがシンプルなものの本質はここにあると思います。

422126434_0b401fbd91_z

やさしく脳に呼びかけるデザイン

リアルなスキューモーフィックデザインが強く直感に訴えるデザインであるなら、シンプルなフラット・ミニマムデザインは静かに脳の奥に呼びかけるデザインと考えてみるとどうでしょうか。

リアルなデザインはその作り込みによって世界観を確立して、目的意識をはっきりとさせることに向いているように思います。ハマる人にはハマるでしょう。
逆にシンプルなデザインは万人向けではありますがユーザーの今までの経験に基づいていろんな感じ方が出てくると思います。

結局、この2者はどちらも本能的であるゆえ持ちつ持たれつで共に存続していくような気がします…一長一短ですね。
ただ視覚的にどっちが感動するかというとリアルなデザインの方がハマったときやはり大きいんですよね~。

ちなみに…弊社フラットデザイン擁護派の意見は「フラットデザインは20年前のweb黎明期のデザインが昇華されたもの。」というものでした。確かに一理あって、これぞwebデザインの本質なのかもしれません。

本物より本物っぽい「即非の論理」

6112887828_f7349b58c8_z

もう1点、今回のアミューズメント施設を訪れて思い出したことがあります。
物事には本物より本物っぽいということがよくありますが、これを「即非の論理」と呼ぶそうです。
「AはAでない、だからAである」、その逆に「AはまるっきりAである、だからAでない」という論理です。

なんだか難しく感じるかもしれませんが、具体的な例を挙げるとよく分かります。

料理の写真は、素人が撮るとあまり美味しく感じられませんが、プロが取る料理の写真は瑞々しく、シズル感がありより美味しそうに見えます。
これは、全部がそうとはいいませんが、煌々と光を当て、食べ物にワックスを塗ったり塗料を塗っているからです。
またスピード写真で自分の顔写真を撮ると「自分の顔と違う」と感じることがあります。
これらは脳がそのように判断しているからです。本当はありのままの自分を写しているのに、です。脳は勝手に自分の都合に合わせて物を映すんですね。

7/8(月)に放送されたNHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で模型会社・海洋堂の社長、宮脇修一さんが出演された回で、印象的な言葉がありました。
「本物を寸分違わずコピーしてもリアルさが得られるとは限らない。サイズを変えたら印象が変わるため強調したい部分をわずかに大きく作るなどの工夫が必要になる」

webでも同じ大きさで並べているのに、片方が小さく見えたり、天地中央に寄せているのに、下に下がって見えたりすることがよくあります。これも即非の論理が働いた錯視によるものだと思います。

人間の脳は本当に騙されやすいですね。特に視覚に関してはその度合が大きいように感じます。
なので形式知にとらわれず、見た目、暗黙知で判断することもデザインでは大いに重要だと感じます。
はみ出すところはしっかりとはみ出す、揃えるところは揃える、そのようにデザインされたものは見やすい、分かりやすい=直感に訴えるデザインなのではないでしょうか。

まとめ

  • リアルな(スキューモーフィック)デザインも、シンプルな(フラット)デザインもどちらも脳に訴えるデザインなので永続するであろうということ。
  • リアルなものは真のリアルではないということ
  • 形式知だけではなく、暗黙知でデザインすることも重要
  • 世界は脳が判断して写している偽りの世界

書きなぐった感じなので至らない所があると思いますが、何かの気づきになれば幸いです~

今回、慣れない専門用語を使うにあたり「漢文力(著者:加藤徹)」という書籍を大いに参考させて頂きました。一部引用させて頂いた所も多々あります。非常に面白い書籍なのでオススメです。