透明化する社会、「語り手」だけが生き残る未来

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金曜日のソーシャルメディアインサイトをお送りします。アクトゼロ黒沼です。

今年最後の記事となります。今回は2012年の締めとして、ソーシャルメディアの登場で透明度が高くなった社会について振り返りつつ、重要性が増してきた「語り手」の存在について書きます。私達アクトゼロは、企業のソーシャルメディア利用の企画をビジネスとしています。いまなぜ、ソーシャルメディア上に企業を体現する「語り手」の存在が必要かということを、ソーシャルメディア登場後の社会変化事例を交えてまとめます。 

ソーシャルメディアが世界を透明にした

ブログやソーシャルメディアの発達は、ユーザー同士の情報交換を密なものとしました。ユーザー間で共有される情報の価値は、「いいね!」といったレコメンドエンジンや、ソーシャルブックマーク上でのブックマーク数によって、収斂され見える化されます。

このことが、世間の「嘘」を次々と暴き始めました。

例えば、ある「嘘」がありそれが10,000人に流布されたとします、そのうち500人はその嘘に気づいたとしても、残りの9,500人は「嘘」を鵜呑みにし信じます。かつての情報伝達がまさにこれで、「嘘」はある意味有効に機能していた時代と言えます。ところが現在においては、「嘘」に気づいた500人の情報発信と共有作用によって、残りの9,500人も「嘘」に気づくチャンスが格段に増えました。この世界では「嘘」の有効性は従来に比べて低くなり、「嘘」をつくことで得られるメリットよりも、「嘘」が糾弾され「嘘吐き」の烙印を押されることのデメリットのほうが大きい社会となりました。

そして、ここでいう「嘘」は単純に、文字通りの嘘だけを指しているのではなく、「対象への不誠実な対応」全般を含んでいます。一度「嘘吐き」認定された企業や団体が、消費者の信用を失う姿を僕たちは見てきました。古くはソニーのゲートキーパー騒動や、グルーポンおせち騒動などネット上で話題になるだけでしたが、和民の労働環境問題や、有名人のステルスマーケティング騒動、先の震災での東京電力や原子力安全委員会への不信など、ネット上のみの問題ではなく、社会全体の傾向に変化しつつあるのです。

「嘘」を糾弾するテキストはネット上に蓄積され、隅々までいきわたり、延々と共有されていきます。

この社会変化により、多くのユーザーと日常的にコミュニケーションをとる企業・政治家・著名人は、誇張や嘘が許されない「等身大」の存在として勝負することを余儀なくされています。社会全体の透明性がましたのです。

安倍首相のFacebook活用と「旧」メディア

安倍晋三Facebookページ

安倍首相のFacebook活用が話題になっています。ニュースの一時ソースとして安倍氏のFacebookページ上での発言が取り上げられています。彼を取り巻く報道状況は、「安倍おろしを画策する左派新聞・テレビに代表される旧メディア」と「その報道の矛盾や偏向をFacebook上で指摘する雄弁な指導者・テレビを見ず新聞を信じない『マスコミ』に批判的な支持者たち」といった対立軸を生んでいます。

メディアがあくまで団体として顔の見えない状況で報道を続けるのに対し、その時々で顔の見える存在がライブに反論を加える様子には属人的な強度が伴っており、旧マスコミの権力監視能力はかつてほど有効に機能していないように見えます。

橋下徹はTwitter活用で得意の喧嘩を、衆人環視の元繰り広げています。件の週間朝日の「ハシシタ特集」の際には、直接対決の様子をネットで生放送し、水面下での決着をよしとしませんでした。のちに週刊朝日編集長名でリリースされた特集取りやめの決定文が、旧来の組織の言葉でかかれた、通り一遍のどこかで見たような文面だったことが、より橋本氏の人間的強度を持った言葉の一つ一つをビビットに見せました。氏の意見はいつも、好き嫌いが大きく分かれるとしても、彼の「本音」だという部分を有権者は受け取っているのです。

旧メディア側から、顔の見える組織を代表するような「語り手」が出てこないことには、今後一層のマスコミ離れを招くことになるでしょう。ユーザーは生身の「人間」の血の通った「言葉」を待っているのです。

コピー&ペーストそれでも最後に残るのは?

また、ネットの特性からも生身の「語り手」の存在の重要性を考えることもできます。

デジタルの世界において、あらゆる情報はコピー&ペーストできる複製可能な存在です。価値があると評価されたものはあっという間に複製され、ネット上のあらゆる場所に拡散していきます。また、情報発信者の増大は、社会全体の情報ボリュームを一気に拡大しました。音楽にたとえるならば、かつては大手レーベルからデビューできた限られた発信元から提供され、メディアを通して大々的に販促された楽曲しか「音楽」でありえなかったわけですが、いまやニコニコ動画やYoutube上で、誰もが自由に楽曲を発表し、soundcloudなどの音楽ポータルで、そのリミックスが無数に作られる時代です。無料で手に入る「音楽」にあふれる状況のなかで、CDが売れなくなることは必然なのです。競争相手が増え、価格はダンピングされていきます。

そこで、多くのアーティストは、その収益源をCDなどのセールスから「ライブ」などの本人以外に代替できない部分で収益化を図ることとなりました。いまや新曲のリリースは、今後行われるライブへの布石としてしか機能しなくなっているのです。このことは音楽業界に限った話ではありません。あらゆる情報がこの状況にさらされています。本離れ活字離れが進む中、言葉を生業とする「語り手」の有料メルマガはそれなりの活況を示しています。より属人的な情報に価値が見出されているのです。

これは、企業活動において、ただのリリース情報はスルーされ、企業を代表した「語り手」の血の通った言葉だけがかろうじてネット上で衆目を集めることを許されるのです。ソーシャルメディア上にアカウントを開くということは、まさにそういうことなのです。

ステマ問題がファンを苛つかせた理由

アメブロの芸能人ブログを舞台とした、ペニーオークション詐欺や企業より金品の提供を受けた上でのステルスマーケティングが、なぜファンを苛つかせたかもこの社会状況を考えるとその理由がよくわかります。

無数の情報・報道の中からファンが「真実」だと信じて選びとった本人運営のブログが、じつは「嘘」だらけの商売としての記事だったということなのです。
CMに出て特定の商品を宣伝しているのとは全く意味合いが違います。僕達がCMに出ている芸能人を見る時、イメージキャラクターとしての契約が企業と芸能事務所の間で結ばれて、そこに金銭など価値の交換が行われていることを、当然知っているためその前提で、CMを消費します。

しかしブログは本来書いている本人の本音が読めるメディアとして認識しているため、だからこそその記事内容を読みにファンは訪れているのです。その「信頼」を金に変えられていたことにファンは怒っているのです。 

集団の象徴としての「語り手」

さて、そろそろまとめとなります。ソーシャルメディアによって社会の透明化が進むことは、情報の「嘘」の存在を難しくします。情報を発信するものは背筋を正し「等身大」の情報を発信する必要があるのです。またそれは情報の発信「手法」にとどまることではありません。企業の存在自体の性格を今一度見直す必要があるとも言えます。その収益構造に社会性はあるか。その製品サービスは公正なものか。あらゆる視点からチェックが進みます。

そしてもうひとつ、ソーシャルメディアが加速した、情報発信者の増大による絶対的な情報のボリューム増により、ただの情報はすぐに埋もれ過去へと流されていきます。そんな中情報に強度をもたせるのは、血の通った「語り手」がかたる、温かみのある生身の言葉なのです。

その瞬間瞬間における、企業価値を体現し、生身の人間として語る依代(よりしろ)的機能を担う存在が必要なのです。小さな集団であれば、例えばその代表が担えば良いわけですが、大きな集団になるほど一人では体現し尽くせなくなります。企業・集団の機能を代表するそれぞれの人間が、それぞれの言葉で伝えられるチャンネルを用意するべきなのです。

ソーシャルメディアプランニングの現実と実際

ここまで、集団を代表する「語り手」の重要性を語って来ましたが、ここからは2012年の現場の話です。

実際、企業を取り巻く社会変化を捉えることができている方は、いまだ少数ですが集団内で支持を広げつつあります。しかし多くの場合、それでも集団において圧倒的に少数派で、集団内で理解を広げることは困難をきわめます。共にソーシャルメディア活用をご一緒させていただいた際、一般企業よりも官公庁などの中に理解者が多いことは、小さな驚きでした。省庁でのプロジェクトや、地方自治体とのプロジェクトがとてもスムーズに進んだことが印象的でした。

企業においては、小さなプロジェクトであれば関係者間で理解の統一をはかることは比較的容易で、理想のプロジェクト運営が可能となるものの、規模が大きくなり当事者が増えるほど、プロジェクトの最終アウトプットがいびつな形になってしまうこともありました。

2013年は、より社会の透明さが増し「語り手」の存在感が増してくると、ぼくは考えています。多くのプロジェクトで、どれだけ「社会」と「企業・集団」とをつなぐプロジェクトが可能となるか、今からわくわくしているのです。