リア充ソーシャルメディアから避難する「本当の自分」

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 by Kalexanderson

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アクトゼロ黒沼です。ソーシャルメディアインサイト今日は、最近ネットで聞かれる機会が増えてきた「ソーシャルメディアリア充」(リア充=リアルが充実:現実生活が充実している人たちを示すネットスラング)問題について考えます。実名を前提としたソーシャル メディアが人気ですが、そこで共有される内容についてはポジティブな面が目につきすぎて楽しめないといった声も多くきかれています。Facebookが「リア充発表会」のようだと揶揄されることが多い反面、着飾らない本当の自分は、「どこ」にいるのでしょうか?

 

僕は会社で制作部の採用担当をしています。アクトゼロの制作部はデザイナーやマークアップエンジニアなど、実際にWebを形にするスタッフが所属しているわけですが、1年ほど前のこと、あるデザイナーの採用を検討していた時のはなしです。作品はとても優れていて、年齢も若かったため、次の選考ステップに進めようとおもいつつ、選考用に本人より提供された作品集のサイトを見ていると、本人のツイッターアカウントへのリンクがありました。

そのツイッターアカウントをのぞいてみると、今まで自分を落としてきた過去の企業への呪詛の言葉であふれていました。企業名は名指しで伏せられておらず、どんな面接で、どんなメールが届いたかなどがそのままツイートされていました。

結局悩んだ末、彼を不採用としました。業務のなかで未公開情報や個人情報に触れることも多く、その情報拡散がどれだけ会社に悪影響をもたらすかを考えると、積極的に採用することができなかったのです。選考結果を伝える際になぜ不採用となったかの理由として、ツイート内容のことを本人に話しました。他社も含めて採用担当がそれを目にした時、どのように考えるかを伝え、それがいかに選考を難しくしているか説明しました。彼はそれに気づいていなかったようでした。

その後、彼は自身のツイートの中にあった名指しの採用ツイートを削除し、自身のフォロワーに対して、採用「される」側にできる最後の抵抗だと思っていたが、その「採用」自体を難しくする原因になっているとなると、辞めざるを得ないと話していました。その行間から、彼が就職活動に疲れている様子が見て取れました。

 

NAVERまとめに60000ビューを数える人気のまとめがあります。「Facebookはリア充のためのSNS」という題名のまとめには、いかにFacebookが現実世界で「勝ち組とよばれる人たち」にとって心地よいSNSなのかという考察がまとめられています。

例えばこんな具合です。

また、「こんなにおいしい料理ができました」とか「こんなかわいいペットがいます」「うちの子はこんなに賢くてやさしいです」といった文章が並ぶ。ネット(とくに実名のフェイスブック)では、みんなが幸福でステキでやさしい。
「子育ては退屈で、泣き続ける子どもを殺したくなるし、ところかまわずウンチするウチのペットは最悪で、私は何を作ってもとうてい食べる気にならないモノしかできない。ほらこんな料理」などと写真をアップする人はまずいない。ヘタに書けば炎上し、最悪の場合には警察まで来かねない。

出典ソーシャル・メディアでは、誰もが「美しくてステキ」: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

顔本を、最近ごくささやかに使いはじめているのだけれど、やっぱりあの空気がおっかない。
顔本で発信しているのは「いい人」で、みんな人生に前向きで、世の中のいろんな場所に出かけては新しい知見を仕入れて、前向きな未来を語る。
顔本は「いい人」達の社交場で、自分の居場所がないというか、顔本世間が求める平均値に比べると、自分が今生活しているこの場所が、なんだかとても低い場所に思えてくる。
前向きな人達が語らって、なんだか自分一人が落ち込んで、そんな空気でページを繰ると、すかさず「本気で開業したいあなたに」だとか、「私生活充実、当直無し」なんて求人広告が目に飛び込んでくる。ぐらっと来る。

出典顔本の「僕の居場所はここじゃない」感 – medtoolzの本館

確かに実感として僕も、Facebookで流れてくる情報がいかにキレイで、ポジティブで、人生の可能性を信じられるような投稿であふれているかは痛いほど感じています。しかし僕自身は、だからFacebookが気持ち悪いソーシャルメディアだとは思ってません。ひとに自慢したいような「素敵なあれこれ」を共有する場は、そこに投稿できるひとにとっては、自己肯定の場となり、そこで自分の日々の生活の「価値」をあらためて再確認しているとも言えるからです。「普通の日常」を生きるための、バランサーとして機能している気がするのです。
逆に、知り合いの辛い話だけが集まったネガティブSNSを使いたいかと言われれば、そんなSNSには魅力はないわけです。

問題は、人生においてポジティブな面だけがFacebookといったメジャーSNSにあふれることで、人生の問題に時に懊悩する自身は「どこにいくのか」ということです。ネットに親しい人たちは、Twitterや2chやQ&Aサイトなどの匿名コミュニティに自分の居場所を見つけるのだと思います。
Facebookを「ハレ」のSNSとして使い、匿名コミュニティ上で「ケ」の自身を吐き出すことで、バランスをとっているひとはおおいのではないかと思います。先述のデザイナー志望の若者のように。

ネットにそれほど親和性の高くない人はどうでしょうか?「発表会」としてのFacebookで共有できない自身は、現実世界に残ります。現実世界で共有できる相手がいない人にとっては、より自分の居場所がないように感じられる、つらい時代だと思います。

逆に、ネット上の匿名コミュニティを介して見知らぬ誰かに共有するまでもなく、現実世界のありのままの自分に共感してくれる相手がいる人は、とても幸福です。

本当にリア充なのは「Facebookで派手な日常を送っている人たち」ではなく、「弱さもだらしなさも、特別ではない自分そのものが、現実社会で受け入れられている人」なのだと僕は思います。